東京沖縄県人会

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 【ゆいまーる・9】 会 長 仲松健雄


             沖縄を変えた男

 第99回全国高校野球選手権大会決勝戦は花咲徳栄(埼玉)が広陵(広島)に大勝し
て初優勝を果たしました。沖縄県代表で2年振り11度目出場の興南は和歌山県代表の
智弁和歌山に序盤の大量リードからの逆転負けで、残念な思いが強く残る試合でした。
 思い起こせば興南は1968年第50回大会でこれまで春夏合わせて甲子園でわずか1勝
しかしていなかった沖縄勢を初のベスト4に押し上げ「興南旋風」と呼ばれ話題となり
ました。当時、私は那覇高校1年生で夢中になって応援した記憶があります。その後、
その時の主将・4番打者であった我喜屋優監督率いる同校は2010年に春夏連覇を果
たし2回目の「興南旋風」を巻き起こしました。
 映画「沖縄を変えた男」は野球に生涯を捧げた沖縄水産高校の名将・栽弘義監督を描
く感動の実話です。沖縄水産高校に赴任した栽弘義氏は廃部寸前だった野球部の監督を
務めることになり、野球部を立て直すために“部員の意識改革”と“甲子園優勝”の目標を
掲げる。当時、容赦ない過酷なトレーニングや妥協を許さないやり方に批判を浴びますが、
甲子園で頂点を目指すという揺るぎない夢と情熱で部員を鍛え上げ、内地では“なんくる
ないさー”は通用しないと説き、時間に厳しい指導を徹底し沖縄の高校野球を変えました。
沖縄水産高校は1990年と1991年、夏の甲子園で2年連続準優勝を果たし沖縄県民を熱狂さ
せました。
 栽監督は沖縄県民に勇気と希望と感動を与え、野球を通して球児たちに夢を持つことの
重要性と生き方を教え、勝負の厳しさと試練を乗り越える沖縄魂を醸成してくれたと思い
ます。今や沖縄県は高校野球強豪県といわれますがその礎を築いた「沖縄変えた男」栽監
督に敬意を表します。



   
          【朝聞夕録・9】 名誉顧問・川平朝清

 私は昭和2 (1927)年8月生まれ,卒寿を迎えました。物心つく頃には "鉄砲かついだ兵隊
さん 足並みそろえて歩いてる とっとことっとこ 歩いてる 兵隊さんはきれいだな” と
歌っていました。
 日本は昭和6年の満州事変を皮切りに、中国東北に満州国を造り上げ、国際連盟から脱退し
ました。そして昭12年には支那事変へと拡大、私が中学に入学した昭和15年には『日米戦わ
ば』などと言う勇ましい本まで現れ、反米一辺倒の状態でした。
 一方和平交渉も行われていました。そこへ送られて来たのが、米国ハル国務長官ノート。
内容は日本軍の中国からの全面撤退、満州国の解体、日独伊協定の破棄という、当時の日本
が受け入れられない条件でした。
 今にして思えば、挑発するだけ挑発して、日本に戦争をしかけさせようとしたのではない
かと思います。だから日本が真珠湾奇襲をしたのは、米国の思うつぼだった、という論もあ
るのです。
 今の米対北朝鮮のやりとりを見ていると、その頃の状況を思い出してなりません。現代は
宇宙衛星ですべてが見える時代、中国か第三国か、仲立ちする国の現れるのを期待していま
す。
  

  
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